About"TOMMY"

1/22/2013

#38 邂逅(かいこう)

もうとっくに明けていましておめでとうございます。

TOMMY WALKER2013初更新。
寒くて体調崩したりして、
やっとエンジンがかかって暖まってきた感じ。

2013年最初の記事なので、今回は、初心表明を少々、

ここに書きとどめておこう。


今年の何よりのテーマは

自分らしく居ること。

自分らしく居るって事は、自分に正直であること。
それがまず必要不可欠であるし、何より、自分の描く目標に対しての欲望、
欲求に正直である必要がある。
そう考えると去年はそのために自分を見つめなおす、
準備の年だったのかも知れない。
去年は例年に比べても新しい出会いがたくさんあった年だった。
出会いは自分の世界を広げるとはいうけれど、出会いってやつは
突然降って沸いて出てくるわけでもない。
大前提として自ら出会いに歩み寄っていく姿勢が無ければ
その機会すら訪れることは無いのだ。
家の中に篭って一人でいれば、誰にも会う事は出来ない。
もちろんそういう時間も必要ではあるし、二次元の世界でネットを使って
やり取りすれば有る意味で繋がれる事は間違いない。

以前、先輩からこんな話を聴いた。

「人は綺麗に住み分けられている」と。

例えばの話、コレは極論に近いものだけれど、

一杯1000円のコーヒーを出すバリスタのいるカフェがあるとする。
こだわって選ばれたブランド品種の豆を、手間隙掛けて焙煎し抽出された逸品のコーヒーだ。
お店の雰囲気もいい。コーヒー豆が香り立つ店内に、音楽もバッチリハマッていてリラックスできる空間。インテリアもアンティークに統一されていてマニアも垂涎の調度品が揃えられている。居心地も最高。スタッフのサービスも好感が持てる対応で、行き届いている。
その味と雰囲気を求めてそこに集まる人々と、

コーヒーは100円の缶コーヒーで十分。
音楽にもコーヒーにもインテリアにも興味ないし人が集まるところには行きたくない。
車の中でコーヒー呑むのが一番。

という2種類の人が交わる事は可能性として絶対的に低い。
どちらかがどうにかならない限りは。


これは、まさしく当然だが、その通りだと話を聴いたときに納得してしまった。

出会いが無いとか面白いことが無いとか口に出してぼやいている人ほど、
後者のような人が僕の周りには多い気がする。

それで満足出来ているならそれに越したことは無いのだが、
変化や刺激を求めている口ぶりであるから始末が悪い。

それはそうだろう。この話をしてくれた先輩の言葉を借りるとすれば、
後者は出会う機会にすらすでにフラレてしまっているのだから。

この話の要点は、一杯のコーヒーにかけるコストの話などではなく、

どちらがよくてどちらが悪いというわけでもない。

出会いの機会を生み出すために1杯1000円のコーヒーショップという場所に
自分がどう捉え、価値をつけるかという事である。


もしそこで、自分の人生を変えてしまうような、
運命的な出会いがあったとしたならば、1000円など比にならないほどの
莫大な釣銭がもらえたと思っていいだろう。

然るべき場所で

服が好きな人は服が好きな人と自然に惹かれあい、
車が好きな人やスポーツが好きだったり、お酒が好きだったり、
自然と共感を求めて共通点を探しあい惹かれあうのが人の出会いの一因だと僕は思う。
類は友を呼ぶとはまさにこの事だろう。

まずは自分の心のスタンス、自分が何が好きで、どういたいのか、コレを決めておく必要がある。
これは自分が他者から見つけてもらうための目印みたいなものだ。

次に、
同じ場所に居れば同じ人としか出会えない。
というか、同じ人としか出会わないのが必然だろう。
それで十分だというなら十分だ。それは人それぞれの価値観だから比べることでもないし、
一概に否定すべきものでもない。

しかし、もし、「こんな人に会ってみたい。」もしくは
「自分と違う人間と出会いたい」
と願うのであれば
自分が慣れ親しんだ【いつもの場所】を離れ、然るべき場所に足を向けなければならない。

そこで初めて「出会いの機会」は向こうからだんだんと近づいてくる。

1000円のコーヒーが呑みたくなくても、そこに居る人と出会いたいのであれば、
1000円出してでも足を運ぶべきである。
一度や二度で行った気になって出会えなかったと諦めてはいけない。
行くと決めたのなら、出会うまで通うべきだ。

僕はそうやって、常に新たな場所へ足を運ぶことで、素敵な出会いと巡りあうことが出来た。
その行動がもたらした成果は2012年は特に如実だったと振り返ってみて思う。

出会いの機会には恵まれた。そこにまず感謝して

これからもより一層、深めて生きたいし広げても行きたい。

その出会いの機会を今年は更に形として具現化していけたらいいと僕は考えている。

今居る場所には拘らず、山梨だけじゃなく、日本、
さらには海外へと自分の行動の幅に厚みも付けていけたらさらにいい。

行かなくて良かったと思うことはあまり無い。
行けばよかったと後悔するのは嫌。
実際、行ってよかったと思う事のほうが僕は遥かに多いから。
躊躇せず、前に進んで行こうと思う。

そして、今まで、誰のためにだとか詭弁を並べて自分と向き合うことから逃げてきたのも事実。
自分の為に何も出来ないやつが人の為に何が出来るのだろうか。
だから僕は、自分の為に生きることを優先して実践していきたい。

自分の為に自分が学べる事を学び、自分に出来ることを全力で取り組む。
自分が幸せになってこそ初めて、
周囲の人にもそれをシェアすることが出来るのではないだろうか。
もちろん言葉や形式で取り繕うことは可能だが、
本当の意味でそれが実現出来たとしたら
それは偽善でなく初めて本物の正義と成り得る。

その姿勢を貫けばこそ、
おのずと自分の為に一生懸命生きている人と巡りあえるはずだ。

人と人のコンパスが惹かれあう瞬間、タイミング、偶然と偶然の重なりが
出会いを生む。

僕は実際に、それを昨年に体験した。
本当に振り返れば面白いもので、
人と人とが導かれて、出会うべくして出会った、
という感覚がぴったり来るような貴重なモノである。

先ほども言ったが、僕は出会いの機会に恵まれた。

そんな素敵な出会いを重ね、支えられ、僕は今居る。

素敵な出会いなんてありきたりな表現では物足りない。
一期一会なんて使い古した表現では拙い。

そんな時にこんな言葉を知った、というか教えてもらった。
その人との出会いがまさにそうだったように。

かい‐こう【邂逅】[名]思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい

参照:Yahoo辞書【邂逅】

2013年も何卒こんな僕を一つよろしくお願いいたします。




via:http://youtu.be/-e_3Cg9GZFU



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