道草を食う。食べてこその旅。
ただ目的地に辿り着くだけでは味気ない。僕らは楽しむ事を忘れない。
限られた時間ではあるけれど、先は長いのだから。
お腹が減ったら美味しいものを食べて英気を養うのが1番だ。
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往路で立ち寄ったのは京都。京都といえば豆富。 口当たりはしっとりさらさら、コクのある大豆の旨味が凝縮されたおぼろ豆富。 |
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湯豆富で冷えた身体をほかほかに温める。たっぷりの野菜ときのこと共に頂く。 |
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復路では名古屋に寄り道。旅も残り300キロ。うなぎでしっかりとスタミナをつける。 |
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うなぎの肝吸いはマスト。滋養強壮。これでさらなるパワーアップが謀れる。 |
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ひつまぶしをしめくくるフィニッシュの形はやはり ダシをかけて余すところなくうなぎの旨味を頂くのが定石だろう。 薬味のねぎとワサビがアクセントとなって食欲倍増。 吸引力の変わらない某掃除機のような吸引力で一気にかけ込む。 |
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だし巻き玉子に巻かれたうな玉。さっぱりと大根おろしで頂く。 |
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出雲大社参拝後に頂いた出雲蕎麦。 この蕎麦はそば湯にどっぷり浸かった状態でサーブされる。 つけあわせにダシつゆがセットされ好みの味を調整、 そば本来の薫りを存分に味わうことができる。 |
何もない近道よりも、花の咲いた遠回り。
今回の遠征は、時間も無い中で、車を使い往復1500キロを走った。
出雲には実は空港がある。
空路を使えば片道1時間でいける。
ほんの少しの時間、シートで寝てればつくことができるところを、
僕らは陸路を
往復20時間かけて行ったのだ。
しかも飛行機や電車とは違い、
最初から最後まで自分たちの手で運転していかなければならない。
なんて無謀な
なんでそんなこと
たくさんの人に帰ってきてから言われたことだが、
一般的な常識で考えれば全くその通り。返す言葉もない。
がしかし、車で行ったからこそわかったこと、感じたことがたくさんあった。
その街々の光景や、道がどのように続いているのかを初めて知ることが出来た。
頭の中でぼんやりとしていた西日本の地図は、出雲から帰って来た後では鮮明に思い描くことが出来る。
名古屋、京都、大阪、神戸は街の灯りがきらきらと輝き、遠くでビルの赤灯がまるで呼吸をするようにゆらいでいる。その中を走る僕らは巨大な生き物の血管を通っているようで興奮を覚えた。
兵庫から岡山へ、鳥取から島根へつづく夜中の山隂道では、
月明かりが山々を照らし、浮かんだ山の影が僕らを見守るように静かに佇んでいた。
車は僕らを乗せた1台のみ。雪が降り始め、辺りを白く覆っていく。
なんとも幻想的な光景は目に焼き付いて離れない。
陸路で行ったからこそ出会えた景色がそこにはたくさんあった。
ミーハー心が旺盛な僕は海外の美しい光景に憧れることが多いのだが、
まだまだ知らない日本の美しさの断片を目の当たりにすることができた。
車の中だからこそ通り過ぎる景色を見ながら出来た話もある。
なにも考えずに、歌をバカみたいに歌って笑うこともできた。
なにより、目的地を目指しそれを自分たちの力で果たすという目標を課して、
実現させたときの達成感は何にも変えられない。
ここまで行くことができたら次はここまで。
成し遂げるまでは大変な道のりも、乗り越えることで、
それを当たり前にこなせるレベルにしていくことが、成長や上達といった言葉に置き換えられるのではないだろうか。そうやって世界は広がる。
日々の生活においても、仕事においても同じ事が言える。
それを身を以て学ぶ事が出来た遠征だった。
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