About"TOMMY"

7/04/2013

#58 「若輩者」未来語る時 2013年(平成25年)7月2日火曜日 山梨日日新聞より

否定、ぼやき 何も生まない

【有権者に必要な視点】

何のために選挙するのかと考えた時、未来を作るためだと理解しています。争点になる憲法改正では、安部晋三首相が発議要件を緩和する「96条をまず変える。」と発言した以上は、与党である自民党が何を考えているのかを把握しなければなりません。
仮に憲法改正の動きが加速した場合、投票した大人たちは未来の子どもたちに
「○○の理由で○○党を選んだんだ」ときちんと説明できる答えを用意しておかなければいけないんですよ。日本国憲法は世界で唯一の平和憲法です。この憲法のおかげで国民は守られてきたと考えます。もし、改正になって、なぜ、あなたはその選択をしたのかと尋ねられた時に
「ただ、投票した」というのでは、子どもたちに対し情けないですよね。
そうならないために、自分を含めた「若輩者たち」だって選挙について話し合う機会がないといけません。政治が分らない連中も、語り合っていいんです。話し合うことで、一人一人の経験を分かち合い、周りが何を考えているのか「世代感」を感じ取ることができます。選挙に行くことは、未来を生きる子どもたちへの責任です。〕

【政治に対する評価】

〔票が集まるようにと、あえて反対論を出しているような第二極、第三極が存在すれば、有権者としては信頼できず、不信感ばかりが募ります。東日本大震災を受けた原発問題に関していえば、政治家たちの「現場感」が足りない気がします。そこに住んでいる人たちの気持ちをくみとらなければいけません。現地の人たちから、いまだに悲痛な叫びが消えないのだから…。〕

【求められる政治家像】


〔「自分の言葉=心の中で本当に思っていること」というのが伝わってくる
政治家は信用します。
この国を本当に救いたいと考えている人ならば、軽率に「絆」といった“流行語”は使わないはずなので、その辺はしっかり判断材料として持っています。
政治家はお金も絡んでくる、大変な仕事だと思います。
だからこそ、本当にこれでいいのか、
といつも自問自答する人物が求められるんです。
正しいことって何だろう、未来について考える人でなければ政治家にはなってほしくありませんね。〕

【選択の基準】


〔ネット選挙も導入される今回の選挙で、「どうせ自分が一票投じたって何も変わらない」とか、
「若者が話し合ったって権力に太刀打ちできない」とか考えるのはとてもさみしいことです。
選挙に参加したり、話し合ったりすることはダサいことじゃないはずです。投じた一票は、劇的な変化はもたらさないかもしれませんが、例えば自分の考えにそぐわない政党と反対の立場を取る政党の議席数を増やす「助け」にはなります。
まずは、今この国がどういう状況にあるのかを知ることが大切です。否定や、ぼやきからは何も生まれません。音楽で世界は変えられないかもしれませんが、心を一つに立ち向かうことはできると信じています。今ある自分のネガティブな部分を差し引いて、これから先、どうなったら良くなるかという思考を持つようにし、行動しなければいけません。こういったムーブメントから生まれるアイデアの集合体こそが「未来」だと確信しているからです。〕
<聞き手・沢登雄太>

〔田我流(でんがりゅう)さん ニューヨーク留学後の2004年、地元の旧一宮でラップグループ「stillichimiya」を結成。11年映画「サウダーヂ」に出演し、表現力が高く評価される。12年にアルバム「B級映画のように2」、今年6月にDVD「B級TOUR-日本編-」を発表。1982年生まれ。〕

<2013年(平成25年)7月2日火曜日 山梨日日新聞より抜粋>

昨日の山梨日日新聞に地元山梨出身のアーティストとして全国で活躍されている田我流さんが今夏の参院選について自らの見解を述べている記事が掲載されていた。このブログに掲載した文章は僕自身の言葉ではないし、もちろんそっくりそのまま僕の考えに全て沿っているわけではないけれど、共感する部分は多く、僕自身も含めた「若輩者」の代表者として、公共のメディアを通して意見し、さらには僕たちに対して問題を提起し、行動を喚起してくれている。
twitterやSNSではこの記事に対し多くのリツイートがされていたが、他県の方はもちろん、山梨県に在住で僕と同じかそれよりも下の世代は、実際の記事を読んでいない方が多いのではないかと思い、抜粋し転載させていただいた次第だ。
公の場で自らの考えを話すというのはものすごくパワーがいることであるし、人の目に止まるメディアであればあるほどに、その発する言葉の責任というのは大きくなっていく。それに臆することなく堂々と、真っ直ぐに、ブレることもなければ、折れることもない、確固たる芯を持ってこのように自身の意見を発信できることが僕はつくづく、この田我流というアーティストのカッコイイところであると尊敬してやまない理由だ。それはなにも、昨日の記事に始まったことではない。映画「サウダーヂ」が国際コンペティション部門にノミネートされ、スイスにて行われた第64回ロカルノ国際映画祭の壇上でも、凱旋上映で日本全国をまわっての舞台挨拶のときも、アルバム「B級映画のように2」で様々なメディアに取り上げられたときもそう。その時その時の思いを徹底して自らの言葉として表現し、疑問を正々堂々と世に投げかけ、メッセージとして世に伝えていた。今にして思えばstillichimiyaが結成された時からそうだったのだと思う。音楽というコミュニケーションツールを使い、ネガティブな感情をポジティブなパワーに変換して世界に発信しているアーティストである。

昨日の新聞の掲載記事で田我流さんが話すように、思考し、話し合うことを僕ら若者と呼ばれている世代はやめてはいけない。諦めてもいけない。よく言われている通説ではあるが、これからの未来に生きていくはずの僕ら若者、またはさらにその先の未来に生きる子どもたちに対しての政策がなかなか国会で話し合われ施行されないのは、選挙に行かず投票率が悪いからということを耳にする。そればかりが理由ではないのだろうけど、若者世代の票が国政から軽く見られているのは可能性としてはあるのかもしれない。投じた一票が劇的に世の中を変えることはまずない。ただ、例えば、将来、国政が自分の生きる環境に対して大きく舵を切ったときに、口をつぐんで黙っていることしか出来ないのも悔しい話だ。
やらないよりはやっておいたほうがいい。なんて言葉がさんざん使い古されている昨今、まさにその言葉にぴったりハマるものこそが、選挙であり僕らが行使すべき権利の一つではないだろうか。僕は20歳から選挙権を獲得してから大きな選挙には必ず投票に行き、当日投票にいけない場合は期日前投票している。決まってこの政党を応援しているということはないけれど、その時その時、自分なりに情報を集め、吟味して自分の意思で一票を投じてきた。
友人がfacebookに載せていた今後の増税スケジュール

今日の山日では路上生活者の社会復帰を支援するNPO法人の方の話が載っていた。社会保障が中心の話だった。僕自身、プライベートで社会保障について触れる機会があったのだが、20歳から支払いが義務付けられている国民年金の月々の支払額を過去に遡って見てみると年々上がっている。それ以外にも大きなところで言えば消費税、来年8%、再来年には10%になる見通しである。関心を持っていなければ、気づかない内に、知らない内に、税率は膨れ上がっていっている。セーフティネットであるはずの社会保障費でさえ家計を逼迫しているという、本末顚倒な現状が、少しまわりを見渡し、耳をすませれば、実際に事実として存在する。決して政治は自分と無関係ではない。ガムシャラにあくせくと働いていようと、ボーっと何も考えず過ごしていようと、ただそこに生きているだけで実質1秒1秒自分のお金が消費され続けているのだ。
何事も、考えることをやめてはいけない。考えれば自ずと行動が生まれる。あとは数ある選択肢の中から自分が選ぶだけ。何を選んだかなんてのはもはや重要ではない。選択さえしてしまえば物事は進んでいく。思考を停止してしまうことがもっとも恐ろしい。それは人の歩みを停止させてしまう行為だ。何も生み出せない。考え、悩み、疑問をいだき、もがくことこそ人間を大きく成長させると僕は思っている。なにより、「思考する」ということは自発的な行動の、最も根源にあるものだと考える。

与えられる事に慣れすぎると、それが当たり前になり、自分からアクションを起こすという感覚が麻痺してくる。目の前にあるチャンスすら見えなくなり、ないものをねだってはぼやき、否定的な言葉を口にするようになってしまう。僕らが住んでいる地方という環境では、より自分の感覚を研ぎ澄まし、目を凝らさないと、大切なものを見逃してしまう。気づいたら時間を浪費し、口を揃えて「なんかいいことねえかなあ。」なんてことを言いだす。ないものを嘆くのではなくて、見つけにいくか、探すか、それでもないならば、作ってしまえばいい。選挙に行くということも、立派な自発的な行動の一つだ。どこの誰の何党の、なんて事はどうでもいい。名前だけ見て字がカッコイイとか、そういった理由で投票したっていいのだ。(そもそも僕は、秒単位で情報や物事が動き、考え方やシステムが細分化されている今の日本において、政党ごとに議席を争っておこなわれる政治自体、レスポンスにスピード感がないものと感じるし、やり方として正しいのだろうかという疑問を持っている。)考えて、選んで、行動するということを自発的に遂行するのが肝心な事で、自然と動機や理由など後からついてくる。誰かに何かに、ただ与えられるもので満足してしまえばそれまでだ。思考しないでただ受け取ることに何も疑問を持たずに生きることは虚しい。欲しいものは自分から取りに行こう。例え選挙に行ったからといって自身が望む将来が手に入るわけではもちろんない。そういうスタンスでいる事が大切なのだ。
何もない、と思ってしまえば何もない街に生きているかもしれない。だが、何処にいるかは重要ではない、何をするかが重要だと僕は考える。


0 件のコメント:

コメントを投稿